境内の委員長3
「はいよ」
「ありがと」
鞍馬が差し出した週刊漫画雑誌を、礼を言って受け取る委員長。
いつの間にか、雑誌没収の恒例行事の様相が変わっていた。鞍馬の方から読み終わった雑誌を自主的に差し出すようになっていたのだ。
「で、何か面白いのはあったか?」
「別に」
「はぁ、お堅い委員長にマンガは似合わねぇってか?」
「そんなことはないわ。ただ、いいのが載ってないだけよ」
更に、そんな会話さえもが日常となっていた。
何故そんなことになっていたのかと言えば……
「つまり、みんなで少しずつでも藤由《ふじよし》さんの趣味を理解して上げることが大切なのよ」
10月。
転校直後の花子を巡る騒動からほどなく。
ロングホームルームで、我らが委員長、寺野《てらの》依杜子《いとこ》が力強く宣言する。
クラスで浮き気味の転校生をどうやって馴染ませるべきか? クラスメート達に出来ることは何か? そんな議題で演説をぶっていたのである。確かに、オープンオタな花子はネタが分からない人間にとっとは可成り扱いづらい人種だろう。それに、やっぱりそういう趣味に対するネガティブな印象は拭えない。
だけど、同じクラスになったんだから、それじゃぁ、いけない。
そんな論法で、ここまで熱弁を振るってきた。本当は人ごとではないだけに、その論は説得力があったと思う。まぁ、僕も人ごとではないんだけどね。そうして、話は花子の趣味を理解しよう! という方向に進んでいたのだ。そして、
「だから、先ずはこういうところからどうかしら?」
言って、委員長は教壇の上に置いた本を手にとってクラスに見せる。淡い色彩の絵柄で長い髪を三つ編みにした少女が、本を手に椅子の上に行儀悪く脚を乗せて座って、口に紙片を加えたイラストの表紙。
『”文学少女“と死にたがり道化《ピエロ》』。
先日、僕が花子のメッセージに気付かされた作品の第一作だ。
「この作品は、所謂『ライトノベル』と分類される本だけれど、様々な文学作品の見立てが使われていて多くの文豪についての舞台裏も知ることが出来るわ。そういう意味では、学問にも役立つモノだと思う」
クラスメート達は、大人しく聞いている。もっともらしい理屈を並べているが、どう受け止められているのか? でも、確かにこの導入は上手いだろう。この流れで『ミミズクと夜の王』や『君と僕の物語』辺りなら抵抗なく入れるだろう。そこから有名どころで『涼宮ハルヒ』。『灼眼のシャナ』『ゼロの使い魔』『神曲奏界ポリフォニカ』『とある魔術の禁書目録』なんかもいいね。はたまた知る人ぞ知るところでは『上等。』シリーズ『戦う司書』シリーズもお勧めだ。異色で挿絵の無いダークな物語では『神栖麗奈』の二部作もいいかもしれない。あと、マイナーだが『ゴーレム×ガールズ』も捨てがたい……
と、話が脱線したが、ともかく、漫画は今まで取り締まっていたので他の手はないかということで委員長が辿り着いたのがライトノベルだった訳だ。最もらしい理由をつけているが、どこまでが本気かは分からない。とにかく、計算高いからな、委員長。そんなことは感じさせず、
「『ライトノベル』から藤由さんの趣味の理解に繋げられればいいと思うの。だから、回し読みでもしたらいいんじゃないかと思うわ」
と締めくくる。
そして、宣言通りそれからすぐに花子の持ち物の”文学少女“シリーズを、主に女子中心で回し読みを始めたのだった。評判は上々らしい。確かにあれは、ライトなミステリといった風情で萌え萌えしてない分、取っつき易いだろう。
だが、花子の持ち物が不特定多数に回る訳だから、ちょっと気になって尋ねてみたのだが、
「あれは布教用だからこれが正しい使い方ネ! だから最悪戻ってこなくても大丈夫ネ!」
帰国子女な腐女子は基本に忠実だった。
そのロングホームから少しして鞍馬と委員長の間で、こんなやり取りがあった。
「いつもいつも捨てちまうぐらいなら、読んでみればいいんじゃね? 藤由のこともあるしな」
「……そうね。どうせ資源ゴミに出すだけだから、それも悪くないかもしれないわね」
「おうおう、その方がエコだぜ?」
「分かったわ。努力してみる」
「努力って…… 堅物だねぇ、やっぱり」
元々、鞍馬の持っている漫画雑誌は通学電車での拾いモノだ。しかも没収される頃には読みたいモノはとうに読み終わっている。別に没収されることはどうでもよい。却って処分する手間が省けて助かるぐらいだった。だからこそ、そのブツをネタにあわよくば何かの作品に嵌ってくれて少しでも委員長が丸くなれば助かる、そんな意図の提案だ。他の多くの男子も鞍馬と同じ思いだった。
それに対する委員長の返答も、概ね、性格に則ったモノ。こうして、冒頭のようなやり取りが日常化したのだ。まぁ、それが可成りの詭弁の上に成り立っていることを僕はよく知っているけどね。
ともあれ、そのお陰か、男子が委員長に対する伝言を僕に頼む頻度はそれから徐々に減ってきているように思う。委員長としてクラスメートの距離が縮まるのはよいことだが、僕としては複雑なところだ。まぁ、僕と委員長の関係は相変わらず…… いや、一つ大きな変化があった。
この冬から、僕は彼女の部屋を定期的に訪れるようになったんだ。
と言っても色っぽい話ではない。どちらかと言えば、頭が痛い話だ。
「……何、その成績は。副委員長といえど、学校という聖域で学問の滞りない進行を司る巫子に違いないわ。それが、こんな成績では示しがつかないじゃない」
僕の二学期末のテスト結果をたまたま目にした委員長の言葉である。別に僕は大学は高望みはしていなかったので、ある程度の成績が維持できればそれでいいと思っていた。とは言え、決して成績が悪いつもりもない。相対的にではあるが、クラスの順位は上から数えた方が早い順位で、平均以上の成績は取っているつもりだった。だが、そう言ったところで、
「いい、来年には受験も控えているわけだし、高2の冬はこれからの命運を分ける大切な時期とも言えるのよ。それなのに、そんな程度で妥協してどうするのよ。せめて上位一桁に入りなさい。ここで率先して模範を示してこそのクラス委員でしょう?」
とまぁ、何ともお堅いことを言い出したのだ。因みに、大方の予想通り、委員長がクラストップの成績…… と言いたいところなのだが、それは秋までの話。二学期末には、クラスで二番の成績となっている。で、誰がトップかと言えば、
「オー! そういうことなら、ミチユキには私が教えてあげるネ!」
二人の話に割む声。同時に僕の右腕に重みが掛かる。今では特に意識せずとも平常心を保てるようになった、すっかり慣れた感触。
そう、何とまぁ、二学期末のテストで委員長の成績を僅差で破ってトップに躍り出たのは、金髪碧眼眼鏡娘転校生の藤由花子だったのだ。
「ちょ…… は、花子! 奥小田から離れなさい! い、いつも言ってるでしょう? 校門をくぐればそこは……」
「はいはい。イトコはウブすぎるネ。こんなの、軽いスキンシップダヨ!」
「 When in Rome, do as the Roman do とも言ってるでしょ?」
それに対する毎度の返し。あれ以来、何かと花子がひっついてきて、堅物な委員長が突っ込む、それも定例のやりとりとなっていた。
「まったく…… 花子と二人きりにさせたら、何があるか分からないわ。だから、場所は私の部屋を提供するから、そこで三人で勉強しましょう」
「オー! それは楽しそうネ」
とまぁ、完全に僕は置いてきぼりを食った形になるのだが、こうして委員長の部屋での勉強会が決まったのだ。
更に、こういうのはある程度定期的に続けるようにした方がいいということで日程の検討をすることになる。定例化すれば逃げ場がなくなる。その辺り、委員長は本当に抜け目が無い。そうして検討の結果、主に委員長の都合がどうだかで、木曜日が基本的な勉強会の日となったのだった。
こうして毎週木曜日は学校帰りに二人の眼鏡っ娘に挟まれての勉強会となった。
確かに、魅力的なシチュエーションではあるが、実際はそんなに甘いモノじゃなかった。
そう、この勉強会は「みんなで勉強する」のではなく、「僕の勉強を見る」ことが目的だ。だから、会が始まると、
「はい、その問題を45分で解くこと」
とか言いながら、委員長作の各科目の問題を制限時間付きで渡されて、僕は延々とそれを解くだけ。
因みに、委員長の部屋は大方の予想通り、旧作のコミック文庫やら最新のコミックス、ゲーム機もそれなりに揃っていたり充実の設備を誇っている。僕が問題に取り組んでいる間、委員長と花子はそれらを存分に活用して、学校では出来ないようなオタ話で盛り上がったり、酷いときにはゲームで対戦してたりする。つか、学校では控えめだが、一度学校を出るとすっかり仲良しだな、この二人。
で、そんな楽しげな様子を傍目に(不用意にそっちに意識を向けると委員長から視線で無言の圧力が掛かるのだ)黙々と制限時間いっぱい問題を解いた後、委員長による採点、および、間違った点について二人からアドバイスを受けるという、学習塾と変わらないような内容だった。楽しげな様子を見せつけられないだけ、塾の方がマシかもしれない。
あ、でも、
「お疲れさま」
勉強会が終わると、最後に何かしら委員長が飲み物を出してくれるのが救いか。しかも、それが、きちんと落としたコーヒーやら、紅茶も様々な種類のモノだったりして、結構おいしいので嬉しいのだ。どうやら、委員長はこういう類のモノが好きらしい。この発見を喜んで、勉強のつらさを紛らわせよう。
とはいえ、この勉強会のお陰で確かに実力は付いているような気がするけどね。
何しろ、問題はセンター試験に向けた基本的なモノも交えつつ、多くがそれなりに高いレベルの国立大学の受験問題の過去問や予想問題から選りすぐったモノで、結構な難易度だ。何でも、その大学が委員長の志望校らしく、
「問題を作ったり人の採点すると自分の勉強にもなって一石二鳥だから」
というのが理由らしい。今に始まったことではないが計算高い。今の僕のレベルではそこそこ背伸びになるそんなモノで教育されている上に、二人とも教えるのが上手い。これで、実力が付かない方がおかしいのかもしれないね。
そんな状態が続いて時が流れ、2月14日。
ヴァン・アレン帯の誕生日というネタは基本中の基本。
正確には古代ローマの一人の司祭が殉教した日。
後に、キリスト教の聖人として認定される彼の名を冠した日。
そう、いい加減回りくどいが要するにバレンタイン・デーである。
とはいえ、僕としてみれば特になんということのない一日だ。まぁ、委員長から貰えたら嬉しいが絶対にないだろう。何せ、
「まったく、校門をくぐればそこは異界。学問に特化した神聖な空間でそんな浮かれたことをしない。別に、渡すなとは言わないわ。だけど、せめて、外で渡しなさい!」
などと、教室でチョコを問答無用で取り締まるものだからたまらない。その辺りのけじめは必要以上にしっかりしている委員長だ。学校で貰えるなんて考えはないだろう。
他のクラスメート達は委員長の目を盗んで色々と画策して受け渡しをしているようだ。却って、そのスリルもイベントを盛り上げるスパイスになっているのかもしれな。
男女とも、微妙にそわそわした雰囲気の時が流れていたが、あいにく、僕には何もないまま最後の授業の終わりのチャイムが響いていた。
さて、そんなこんなな一日だったが、今年のバレンタインデーは木曜日。
そう、勉強会の日だった。
だから、放課後になると委員長と花子と三人で校門をくぐる。
途端、また右腕に重みを感じる。
「はい、ミチユキ!」
言って、ハート型の包みを僕に差し出す。
いや、正直、期待していなかった訳じゃない。
だけど、やっぱりこうやって貰えるって嬉しいモノだね。
「ありがとう! 大切にするよ!」
「オー! 食べないとダメになっちゃうヨ!」
「そりゃそうだ。あとでありがたくいただくよ」
そんな軽口を交わし合う。うん、こういうのってなんかいいね。
「よかったわね。ゼロじゃなくて」
そんな様子を見ていた委員長が、若干棘のある声で僕に言う。
「あ、ああ」
何か気まずくて、生返事をしてしまう。
「まぁ、いいわ。浮かれてないで、いきましょう」
言って、スタスタと歩き出す。
花子が、僕から離れてそのあとを追う。
取り残された僕は少し思案する。委員長にも密かに期待はしたモノのこれでは完全に潰えたも同然だろう。
教室でのことと言い、やっぱり、委員長はこういう行事が嫌いなのだろうか?
神道とキリスト教は別に対立してはいないけど、何かそういう宗教的な理由があるのかも知れない。
そんなことを考えながら、すっかりお馴染みになった道を僕は二人を追って歩く。
そのまま何事もなく委員長の部屋に場所は移り、
「はい、今日はこれね。制限時間は1時間」
と、いつも通り勉強に勤しむこととなった。しかも、なんか長いぞ、今日は。
相変わらずの楽しげな二人の眼鏡っ娘のやりとりをBGMに、僕はひたすらに問題に取り組み続ける。最近になって思うのだが、確かに、僕の学力は上がってきているように感じる。最初の内は苦行のようだったが、毎回毎回二人の優秀な教師にピンポイントで教えて貰っている分、効率よく学ぶことが出来ているように思う。
今日も、問題数は多いが、どうにか時間内に解けそうだ。
そうして、もう今日が何の日かなど完膚無きまでに忘れた頃、苦行から解放される。採点の結果、確実に正解率は高くなっているように思う。
一段落して、疲れ果てたところでいつものごとく、委員長が飲み物を持ってくる。最近はこれが密かな楽しみともなっていた。
さて、今日はなんだろう?
何やら甘いにおいがするが、はてさて?
って、テーブルに並べられた独特の甘い匂いのする茶色い液体は、紛うことなく
「……ミロ?」
「たまにはいいでしょ?」
そういって、自分の分に口をつける。
僕も、別にミロ嫌いじゃない。癖のある味で時々無性に飲みたくなるのも事実だ。まぁ、若干フェイントだが、これはこれでありだろう。特にそれ以上は突っ込まず、暖かいミロを口に運ぶとその甘味に疲れが癒される気がした。
「うん、たまに飲むと確かに旨いな。それに、疲れた頭に丁度いい」
そんな風に言うと、
「よかった」
そう言って、希に見るいい笑顔を委員長は返してくれた。
何だろう?
でも、勉強中のように厳しい態度を取られるよりはずっといい。だから、僕はその笑顔を肴に、おいしくミロを頂いたのだった。
「なるほど…… イトコらしいネ」
そんな様子を見て、ポツリと、花子が意味不明のことをつぶやいて、妙に大人しく自分の分のミロを飲んでいた。
まぁ、結局、バレンタインに委員長からチョコは貰えなかったということだ。別に、期待してた訳じゃないんだからね? とツンデレ風に言ってみる。って、これってただの意地っ張りだと思うんだけどね、僕は。
うん、そんな風に言ってしまう程度には、気にしていたのかもしれないね。
でも、それは僕の大きな勘違いだったんだけど。
特に何事もなく、時は流れ、期末試験も最終日を迎えた。
そのとき、僕は委員長と花子に感謝することとなる。
いや、正直、今までと比べものにならないぐらい手応えがあった。
やはり、継続は力なり。
成り行きで始まった勉強会だったけれども、確かに効果はあったのだ。
試験が終わった開放感から、周囲では遊びにいく算段などが聞こえてくる。僕も鞍馬達に誘われたが、断った。何か、遊びに行って発散するよりも、この充実感をかみしめていたいというか。
それに、先ずは二人に礼を言うのを先だ。
そう思って、教室を見回すが、
「あれ?」
鞍馬達と話している間に、委員長はさっさと帰ってしまったようだ。
花子の姿も無い。
明日から試験休みで暫く会えないから、今日の内に礼を言っておきたかったんだが、仕方ない。僕は荷物をまとめると教室をあとにした。
そして、校門をくぐったところで、
「ミチユキ!」
聞き慣れた声に呼び止められる。
「あ、花子」
丁度良かった。途中まで方向は同じだ。
「試験、どうだった?」
「うん、お陰様で、今までにないできだったよ、ありがとう」
本当に感謝の気持ちを込めて、答える。すると、
「オー! それはよかったね! この調子で同じ大学に行けるといいネ!」
そんな言葉が返ってくる。え?
「同じ大学って…… 花子もあの大学志望なの?」
「そうダヨ! だから、私にも丁度よかったヨ!」
言って、意味ありげにこちらを見つめ、
「ミチユキも同じ大学に行けたらいいね! っていつもイトコと話してたんだよ。だから、アレは自分達のための勉強会でもあったんダヨ」
そんなことを口にする。
「いや、それはないだろう。チョコも貰えなかったしな」
チョコをくれた花子に言うことではないだろうが、思わず口をついて出た。流石に、これじゃ、嫌な奴だな。
その言葉を聞いて、再び意味ありげな視線をよこすと、花子はこんなことを尋ねてきた。
「ところでミチユキ? ミロって何で出来てるか知ってる?」
「うん? 『麦芽飲料』ってぐらいだから麦芽だろ」
「オー! 確かにそうね。でも、あの風味の元はなんだと思う?」
「……確か、ココア」
うん? 待て。どういうことだ?
それは、何の意味がある?
「正解ネ! で、ココアの原料って何?」
ああ、僕は馬鹿だ。いや、でも遠回し過ぎる方も悪い。
「気付いたみたいダネ!」
そう言って、再び僕を見つめるレンズ越しの蒼。
なんだろう? 今まで見たこと無い表情だ。嬉しそうな、でも、どこか寂しそうな、そんな表情。
「でも、それって……」
「ミチユキ」
いつもと違う、後ろに「!」を付けるに適さない穏やかな口調。こんなのも初めてだ。
「イトコもだけど、もっと、色々素直にならないと後悔すると思うよ? 確かに、趣味は大分表に出して来たけど、それだけじゃない筈ダヨ?」
僕は、何も答えられない。
何を言おうとしているのか、薄々気付いている。
だけど、どう受けとめていいのか分からない。
「横で見てると、本当にもどかしかったんダヨ? 何度も何度も」
いつもと違う静かな声で、続ける。
「だけど、二人とも、やっぱり何かを隠してる」
二人に一番近い位置にいて、それでも、僕にチョコをくれた女の子。
でも、そんな僕の気持ちにはとっくに気付いていて……
「私は、イトコもミチユキも大好きだから! 自分の気持ちを隠さないで欲しいんダヨ!」
声を強めて、言う。
「ミチユキ、イトコのこと、好きなんでしょ?」
そう、真っ向から、問いかけてくる。
もう、逃げられない。
だけど、言葉が出なくて。
それでも、嘘はつけない。
力の限り、頷いた。
それを見ると、満足げに微笑んで、
「だったら、行かないと! イトコも、きっと待ってるヨ! ファイトね!」
と背中を押してくれた。
なんてことだ。
僕は、なんて鈍いんだ。
いや、敢えて逃げていたのかも知れない。
花子は、すぐに背を向けてしまった。僕は声を掛けられない。
だって、最後の最後。
その赤に支えられたレンズの奥で、揺れる光に気付いたから。
ああ、本当に、僕は馬鹿だ。
だから、僕は前に進むしかない。
あの場所を目指して。
鳥居をくぐり境内に入ると、委員長の姿を探す。
今日はすぐに、竹箒で石畳を掃除する眼鏡巫女の姿が見えた。
おお、去年の言葉通り、巫女服でも眼鏡! いいことだ。
って、そんなことを考えている場合じゃない。
「委員長!」
去年のやりとりなどなんのその。委員長は委員長でだから委員長と呼ばないと落ち着かないとかで納得させた。だから、境内でもこう呼ぶのだ。
「奥小田?」
掃除の手を止めて、僕を見る。
「ちょっと待って、これ、片付けてくるから」
言って、倉庫の方に箒を持っていく。
僕はとりあえず、その場で待つことにして、境内を見回す。
奇しくも今日は、三月五日。
巫女の日だ。
かつて僕は巫女鑑賞にこの神社に来て、境内の委員長と出会ったのだ。
それから一年。
巫女に会いに来たのは変わりないけれど。
その巫女は、寺野依杜子という、固有名詞を持った巫女だ。
そう、僕は気付いたのだ。
去年勢いに任せて告白しかけてから、有耶無耶にして一年。
曖昧三センチ? ではなく、曖昧な距離を保ちながら今まで来た。
思えば、あの時点で僕の思いに気付かないほど鈍い委員長ではない。
それでいて、変わらぬ態度で来たのだと思っていた。
それは、委員長の方では特になんでもないのだろうと思っていた。思おうとしていた。
でも、そうじゃなかった。
僕に、勇気が足りなかっただけなのだろう。
委員長はさりげなくも伏線は張ってくれていた。
僕は、それを拾わなければならなかった。
でも、気付かなくて。
結局、自分に好意を向けてくれた女の子から後押しして貰うまで、放置していた。
最低だ。
でも、もう、気付いたから。
だからこそ、僕は、ここへ来たのだから。
「お待たせ。それで、何の用かしら?」
怪訝そうに、言う。僕は先ず、今日中に言おうと思っていたことを口にする。
「今日で試験終わりだったけど、色々教えて貰ったお陰で今までに無い手応えだった。これなら、委員長に恥ずかしくない成績が取れそうだ。ありがとう」
これは紛う事なき本心だ。言わなければならないことだ。
「それを言いにわざわざ来たの? うん、でも、いい心がけね」
言って、表情を緩める。
「いや、それだけじゃなくて……」
そうじゃない。本当に大事なことは別にある。
どう言ったら言いモノか?
道中、ずっと考えていた。
そして、一つ閃いた手があった。
一種の賭だが、今の僕にはそれしか思いつかなかった。
だから僕は、
「ところで、たまには、下に降りてみたいんだけど」
と、強引に話を換えて願い出る。
この神社は、高台に建っている。
だから、高低の差が激しく、末社の一部は本殿のある一体から石段を降りた先にある。確か、稲荷があったように思う。
「そうね。今は梅も丁度見頃よ」
そう言って、応じてくれる。そう、神社の裏手にはこじんまりとした梅園があるのだ。白梅と紅梅のバランスがよく、石段を下りるにつれ、よい香りが風に流されてくる。
さて、あと少しで降りきるところで、僕は取っておいた言葉を口にする。
「46、47、48、49……」
そして、最後の段を降りたところで、
「50」
と。
一瞬、僕の言葉にきょとんとするが、
「何言ってるの? この石段は49段よ」
そう言って、訂正してくる。そりゃそうだろう。でも、僕は譲れない。
「いや、50段だった」
「違うわ、数え間違えてるわよ。あたしはずっとこの神社で育ったのよ? そのあたしが言ってるんだから」
「じゃぁ、もう一度数えてみるから、先に上って待っててくれ」
「え? う、うん、まぁいいけど」
怪訝そうな顔をしながらも、降りた石段を再びあがる。それなりに長い石段だ。しばらく、葉擦れの音と梅の香が静かに流れる。
委員長が上り切ったのを確認したところで、僕は再び石段を上がり始める。
ここからが本番だ。
軽く駆け足で、一段一段踏みしめる。
実は、段数なんて数えていない。
だけど、大切なことなんだ。
最後の数段になったところで調整。
残り、5段になったら再び同じカウントダウン。
「46、47、48、49……」
上り切ったところで、
「50」
「また数え間違ってるわよ?」
呆れたように、委員長が即座に訂正する。
「いや、やっぱり50段だ」
「違う、49段よ」
こういうところ、きっちりしないと気が済まない性分だからか、委員長も段々と意地になってきた。でも、彼女が何度49段と言おうと、僕は50段だと主張し続ける。
そんな不毛なやりとりを暫し続けたあと、僕は頃合いを見て、こう締めくくる。
「じゃぁ、間を取って49.5段とか?」
頼む、気付いてくれ。
僕の台詞をどう受け止めたモノか、また、これまでのやりとりにどういう意味があったのか、そんなことを委員長は暫し思案している風だった。
静かな時が過ぎ、ハッとしたような表情でそのレンズの奥の瞳を見開いた。
でも、それも短い時間のこと。
すぐに、いつもの表情に戻ると、
「ところで、花子とはどうなの? バレンタインにチョコも貰ってたみたいだし、中々お似合いなんじゃないかしら?」
急にそんなことを言い始める。色恋の話題を避ける委員長にしては珍しいというか、そういう話は初めてだ。だが、僕は心の中で一息ついた。きっと、僕の思惑に気付いた筈だ。
「でも、それを言えば、委員長だってくれたじゃないか」
僕は、そう、反論する。そうだ、ミロにはココアが含まれている。ココアはカカオ。ホットココアはそのままホットチョコレートとも呼ばれる。委員長の部屋にもあった昔の漫画で、バレンタインデーに意地っ張りなヒロインがバイト先の喫茶店で主人公にホット・チョコレートを出す話があった。それを、花子の話で思い出したのだ。
「そ、そんなの偶然よ」
まだ、意地を張るようだ。多分、もう、そろそろ伝わっているとは思う。だから、僕は何処ぞの古書肆の憑き物落としのごとく、言葉で納得させねばならない。
「そうか、それなら別にいい」
そういうと、少し、残念そうな表情を見せた気がするのは思い上がりだろうか?
だけど、僕はこのやりとりで、彼女からある質問を口にする気にさせねばならない。
「でも、僕は委員長と同じ大学に進学したいと思う。折角、今から面倒見てくれてるんだから」
そうなのだ。思えば、なんであんなに偏った出題だったのだ? 明らかに、特定の大学向けの勉強だった。
「目標を持つのはいいことだわ。そうね、花子も同じ志望大学だしね」
手強い相手だ。でも、少しずつ、言葉を重ねて行くしかない。
「そうみたいだね。実は、さっき、ここへ来る前に花子と話してたんだ」
「そう。あたしのいないところだからって、変なことしてたりしないでしょうね?」
「いや、そんなことはないよ。勉強の礼を言って、それから」
ここで、まっすぐ委員長の目を改めて見る。
「僕の気持ちをはっきり示してきた」
力強く、宣言するかのように口にする。心臓の鼓動が当たり前のように加速する。
「僕は確かに、花子のことは嫌いじゃない。どちらかと言えば、そりゃ好きだけど、でも、それは友達としてなんだ」
ああ、いい文脈だ。
じっと、僕の目を見返しながら言葉を受け止めている委員長。
そのまま、数瞬見つめ合うときが流れる。
そして、諦めたように、ため息を一つ吐く委員長。
「なるほど、手の込んだことね」
どうやら、全部気付いたみたいだ。
「遠回しなのはお互い様だと思うんだけどね」
「別にうちは喫茶店じゃないから、他の客にミロを出すのを断ったりしてないわ」
「そりゃそうだろう」
いや、あれはそもそもメニューにホット・チョコレートと書かれてるからココアは無いという詭弁だった訳だが、幾ら計算高い委員長でも流石にそこまでは再現できないだろう。
「だからまぁ、いいわ。あたしにネタが通じることも、多分、本棚を見て気付いてたのね」
「ああ」
僕はうなずく。
「どっちが遠回しなんだか…… 分かり易く、懸垂ぐらいすればよかったと思うわ」
「あいにく、境内に鉄棒が無いことはよく知ってるから」
それに、そのネタは僕的にアウトなのだ。眼鏡娘が眼鏡を外したために失恋する御華詩。そんなのは認めない…… って、そうじゃなくて。
でも、石段があることも確認済みだったんだ。というか、見れば分かる。ついでに、49段だということもよく知っている。その上で、今回の仕掛けを思いついたんだ。
「本当に、手が込んでて回りくどいことこの上ないけど、こんなのに気付いてしまうあたしもあたしか……」
言って、空を見上げて何かを考えるそぶりを見せる。そして、
「じゃぁ、仕方ないから聞いたげるわ」
言って、視線を戻すと今度は向こうから僕の目を射る。
「 Like or Love? 」
別に、花子に対して英語を使うような意味合いではない。その漫画の重要な台詞だ。
「花子は Like 。そして、委員長は……」
流石に、そこからは照れる。が、はっきり言わないといけない。目を逸らすな、勇気を振り絞れ。
「 Love …… だ」
それが、精一杯だった。日本語は恥ずかしすぎる。しかし、英語にするとなんとなく言いやすいのは気のせいだろうか? あ、だからもしかして『化物語』の戦場ヶ原ひたぎは暦に英語で告白したのか? 思わずそんなどうでもいいことを考えてしまった。
とはいえ、言語が違えど意味ははっきりしている。伝わらないはずはない。
だが、まだ足りないのだ。
しっかりと言葉が伝わったのを確認してから、僕は石段を駆け下りる。そして、息を切らせて駆け上がる。最後の五段でおなじようにカウントダウン。
「49,50!」
「また、数え間違えたわね」
笑顔でそう突っ込んでくる。だから、僕は答える。
「限りなく、50段に近い49段だ」
楽しそうに、僕の言葉を委員長は聞いている。なら、僕からも訪ねないと終わらない。
「 Like or Love? 」
「 Love! ただし、限りなく、 Like に近い、ね」
そういって、またあのいい笑顔を見せてくれる。
「……って、あれ、それはどう受け止めたらいいんだ?」
「そういうことを聞くのは無粋と言うモノよ。最後までネタ通りに進んだら面白くないでしょう?」
ああ、確かにそうだ。僕は別に超能力者の家系でも無し、委員長も不良少女というわけでもない。
「ま、そうだな。これからはオリジナル展開にしないと」
「そういうこと」
「じゃぁ、なんだ、改めて宜しく、依杜子」
「ええ、宜しくされるわ。通之」
そんな訳で、一年の時を越えて遂に、両想いとなることに成功した僕と委員長。
でもまぁ、これが始まりということだ。
人生は常にオリジナル展開。
どれだけのネタをちりばめようとも、自作自演でドラマを続けていかなければいけない。
この先が語られるかどうか? それは二人の展開次第、ということで。
「境内の委員長3」 完
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