えむみこ! 第三話
二次元が平面で三次元が立体。
間はどこにもない。
それは、背くことの出来ないロジック。
二次元を愛するが故に三次元を拒絶する少年と、三次元の少女。
それは、決して相容れぬ存在。
故に、笑夢と流人、お互いに恋心は無かった。
本当に?
本当に。
■ 1 ■
「傷、大丈夫か?」
「巫女はMから始まるのよ! この傷を負い目になびこうって言うの? そんなのはあたしの巫女道に反するわ!」
「……失言だったな」
「分かって貰えて嬉しいわ」
先日の悶着の後、流人は笑夢に対して気を遣った態度を取るようになっていた。
二次元信仰者であっても、三次元女性の顔に傷を負わせたことを無視できない程度には、流人に良識はあるようだった。
故に、こんなやり取りが常となっていた。
軟化を通り越して、傷を理由に迫れば簡単に折れそうな流人の態度は、しかし、笑夢には受け入れがたい。
こうなると、笑夢も攻めきれず、流人も半端な対応となってしまう。
そんな微妙になった関係を調整するためか、流人はここのところ二次元の話題を再び中心に据え始めていた。
その中のある会話が、状況に対する一石となった。
「それ、どこからどう見てもあたしの家よ」
「……一番人気のヒロインの神社だぞ、これ」
最近発売され、スマッシュヒットとなった無名メーカーのギャルゲーがあった。
それは、ヒロイン全員が『巫女』というフェティッシュなゲーム。
そして、そのメーカーは地元のメーカー。
無名故、予算が無かったのだろう。
取材もしやすいと言うことで、神社仏閣の多いこの地域を、そのままモデルにしていたのだ。例えば、とあるゲームで幼馴染みと再会した雪の中の駅のような再現度で。
ネット界隈では、各神社のモデルが特定され始めていた。
だが、まだ、全ては特定されていない。
だから、ゲーム雑誌に収録されたそのゲームの背景を指さした途端、笑夢にあっさり答えを示されたのに相当驚いたようだった。
「……はっ! それなら、聖地巡礼すればいいよ! あたしの家に来て、適当に過ちを犯して二次元愛を捨ててあたしと恋仲になるのよ!」
「バカを言うな! 聖地巡礼など笑止千万。折角二次元に落とし込んで貰ったモノを三次元で鑑賞しようなどとは、覆水を無理矢理盆に返すような愚かしい行いだ!」
ここぞとばかりに放った笑夢のジャブに、流人は即答。
笑夢はそれを楽しいと感じ、しかしそれは流人が二次元を愛するからこそだと自らに補足してバランスを取る。
こうして、どうにか最初の頃のやり取りが戻ってきて数日が過ぎた頃。
「……偶然通り掛かっただけだ」
流人は誰にともなくそんな言い訳じみた言葉を発しながら、とある神社の鳥居を潜っていた。
それは、聖地巡礼という訳でも無かった。
ただ、あのゲームの人気がカルトなモノとなって、暴走した極々一部のオタクが、モデルとなった神社で問題を起こし始めているらしいのだ。
そんな噂を耳にして、少し気になって流人は休日に笑夢の神社を訪れた。
ここ数日で全ての神社は特定去れ、本人に聞くまでもなく辿り着くことが出来たのだ。
コミケ並かそれ以上の人数が訪れる神社には敵うべくも無いが、それでも、立派な本社に続く長い参道のある、結構な規模の神社だった。
「せっかくだから、お参りしていくか」
流人は、参道を歩き出す。
と、
「み、巫女さんは本当に居たんだ!」
そんな芝居がかった男の声が聞こえてきたのは、流人が参道を歩き出して程なく。
参道から外れた鎮守の森の中にひっそり立つ、蔵の方からだった。
流人は、胸騒ぎを覚えて声のした方に駆ける。
「巫女はMから始まるのよ! この程度の試練、自力で乗り越えて見せるわ!」
「た、竹箒、も、萌える!」
聞き覚えのある声に、先の男の声が聞こえてくる。
すぐに、その場に辿り着くと、小柄な眼鏡の巫女にバズーカのようなレンズのついたカメラを構えた男の姿。
言うまでもなく、竹箒を構えて警戒の姿勢を見せるその巫女は笑夢である。
「何をしている!」
流人の言葉に、二人の視線が向けられる。
「い、いーたんの撮影なんだな。聖地巡礼、最高!」
男は、律儀に、欲望に忠実な回答をしつつ、直ぐに視線を戻すとカメラのレンズを笑夢に向ける。
因みに、『いーたん』というのは、件のギャルゲーの一番人気のヒロインの愛称である。
流人も、しっかりプレイ済みなので間違いない。
髪型は違うが、ぺた眼鏡巫女であった。
それ故に、男は興奮しているのだろう。
一方の笑夢を見ると、気丈に竹箒を向けて威嚇するも、得体のしれない男の様子に恐怖しているのは感じられる。先日の破落戸の直接的な暴力より、こういったモノの方が恐ろしいのかもしれない。
そんな風に分析した瞬間、流人の体は自然に動いていた。
足下の砂を掴んで、男の目元に投げつける。
「目がぁ! 目がぁ!」
あっさりと、どこかで聞いたような台詞を漏らして苦しみながら、一目散に逃げていった。
「俺は弱い! それでも、同じような二次元愛好家同士なら、そうそう負けはしない!」
笑夢に向かって、威勢だけはいいが中々に残念な見得を切ったのだった。
そんな流人にしばし呆然としたようにしていた笑夢。
「巫女はMから始まるのよ! だ、誰が助けてなんて言った! あんなの、自力でどうにかして……」
どうにか、気を取り直していつものように見得を切って返そうとするが、言葉に詰まる。
どうしようもなく、嬉しかった。
試練を取り上げられたのに。
巫女道を否定するかのような所行なのに。
「す、済まなかった……」
流人は、出過ぎた真似をしたと思ったのか、素直に謝罪して引き下がっていた。
違う!
ううん、違わない。
助けて貰った嬉しさと。
助けられて失った試練。
笑夢の中の天秤は大地震のように激しく揺れていた。
「ああ、もう、苛々しますわ」
鳥居の影から様子を伺っていたストーカー貴以子が、爪を噛みながらそんな言葉を漏らしていたことは、笑夢も流人も知らない。
「はぁ、いい加減、くっつかないかしら、あの二人」
略奪を狙う貴以子も、上手くいきそうでいかない二人に、相当やきもきしていた。
■ 2 ■
神社での一件の翌日の学校。
「流人様、いい加減、素直になりなさいな」
自らの略奪愛成就のため、笑夢と流人をくっつけようとする貴以子は、呆れたように流人に声を掛けていた。
「貴以子、俺は三次元に興味はないと言っているだろう?」
流人は即座に否定の言葉を述べるが、今回は貴以子の方が上手だった。
「知ってるわ。でも、あの短冊を見る限り、アナログなんでしょう?」
「……気付いてたのか」
「ええ。笑夢には見せないようにしてたようですけど、わたくしは少し立ち止まってみたんですわ」
「誤差というモノは、常にあるよ……」
何か、諦めたような、でも、安心したような流人。
「わたくし、流人様と笑夢が引っ付くように望んでいるのは本心ですわ」
ここが攻め所と見極めたのか、真剣な表情になって、貴以子は言葉を紡ぐ。
「真崎戸《まさきど》流人《りゅうと》。貴方の二次元愛は、人並み外れて度量が広いんじゃ無くって?」
「……求めるのが『ヒロイン』だけにな」
貴以子の言葉に、冗談めかして応じる。
あれを見られたなら、もう隠す必要は無い。
そこに示したのは、次元の誤差。
それはまるで、詭弁のようなで。
改めて第三者から示されて、流人の心は決まる。
そう。
これは、自らの思想信条を侵しはしない。
飽くまで、その誤差の範疇の想いだ。
理論武装した流人は、古風に手紙をしたためる。
その手紙は、笑夢の机に……
■ 3 ■
「こ、こんなところに呼び出して、何の用?」
夕暮れの校舎裏。
今は使われなくなって朽ち果てた、焼却炉の側。
流人の方から突然人気の無い場所に呼び出され、笑夢はどう反応していいのか分からない。
だから、そんな大人しい言葉になってしまった。
「大切な話がある」
応える流人の真剣な表情に、笑夢は複雑な心境だった。
笑夢は流人と恋仲になるのが目標である。
それは、流人が三次元に興味が無いから。
実る筈のない恋だからこそ、試練に値する。
だからこその、アプローチだった。
それ以上でも、それ以下でもない。
そう、信じている。
だが、どうこらえようとも、心臓の鼓動が高鳴ることを止められない。
必死に制御しないと、顔がだらしなく緩む。
喜んで、いいのだろうか?
最強の巫女になるのに、こんな簡単に試練を乗り越えてしまっていいのだろうか?
百面相のような笑夢の表情から、その複雑な心境を読み取ったのだろうか。
「確かに、巫女はMから始まるかもしれない。それが、お前にとっての行動理念であることも、よく分かっている」
流人は、静かに語り始める。
「だがな、時には見方を変えることも必要だ」
何を言おうとしているのか?
笑夢はどうしたものか結論が出ないまま、緊張しながら流人の言葉を待つ。
「いいか、Mはひっくり返せばWになる!」
そこで、流人はそれこそが決め台詞とばかりに力強く言い放つ。そのまま、言葉をたたみかけようとばかりに大きく息を吸ったのだが、その隙に、
「巫女はMから始まるのよ! それはあたしに逆立ちしろってことね! 今のこの制服のスカート姿で! 辱めようとは大胆不敵! 勿論、受けて立つわ!」
思えば、緊張していたのもあるかもしれない。
笑夢はここぞとばかりに、無理矢理に試練を見出し反応する。
言葉通り、間髪入れず笑夢は逆立ちすると、重力に従い、スカートは垂れ下がる。
その中身は、完全に露わ。
序でにブラウスもずれて、へそはおろか、平面に近い故にその膨らんでそうで膨らんでない少し膨らんでいる胸さえもきわどい状態となる。
羞恥に頬を染めながらも、笑夢は悦に入る。
「こ、ここまで辱めたからには、責任を取ってあたしの恋人となりなさい!」
「ええい、俺は真面目な話をしているつもりなんだ! 破廉恥な真似はやめんか!」
そんな笑夢の行動を察知したのか、紳士的に即座に背を向けていた流人に止められる。
一向にこちらを向こうとしない流人に、笑夢は渋々逆立ちを止めて元の姿勢に戻る。
何か、凄く残念な気持ちだった。
それは、露わになった諸々を見て貰えなかったことで、笑夢にとっては御馳走とも言える『辱め』という形での試練を受け損なったことに対する残念さだ。
そうに違いない。
「……それで、巫女のMを引っ繰り返してどうするの?」
若干の混乱から立ち直るために、途切れた話を繋ぐべく笑夢から声を掛ける。
「あ、ああ、それだ」
流人は、仕切り直すように大きく一呼吸。
そして、続ける。
「Wってのは、ネットスラングの笑いだ。そして、お前の『笑夢』って名前にも通じるだろう?」
「? そ、そう、ね……」
急に、名前のことに繋げられて戸惑いを覚える。
一体、流人は何を言おうとしているのか?
「俺は、二次元にしか興味がない」
そんな笑夢を余所に、流人は居住まいを正して言葉を重ねる。
「だけどな、お前はそうやってキャラを創って三次元からも少し逸脱している」
流人の言葉を聞きながら、顔の筋肉が緩むのを止められない。
「だから、お前は二.五次元なんだ」
決定的な言葉が近付いている、予感。
「俺は、二次元と三次元の間にある、一次元という果てしない差は決して受け入れられない」
確かに、それが、目的だった。
「だが、〇.五ぐらいの誤差なら受け入れられる」
でも、妥協されるような結実は、望ましくない。
「お前は、なんでもかんでも試練にしようっていう『M巫女』ではなく、ただ、俺の側で『笑む巫女』であればいいんだよ!」
こんなの、もう、試練じゃない。
笑夢は気が気ではなかった。
「ああ、悔しいが、俺は、そんな風に思わずに居られないほど、お前のことが…… むぐ……」
そこで、流人の言葉は止まった。
否。
止められたのだ。
笑夢の唇によって、唇を塞がれて。
身長差のある流人の首に飛びつくようにして、笑夢はその唇を強引に奪っていた。
短いのか長いのか分からない時間が過ぎ、笑夢は唇を離す。
そしてやおら、流人に人差し指を突きつけて、宣言する。
「巫女はMから始まるのよ! その変な理屈で簡単にあたしに折れようなんて、許さない! だから、あたしは自らに更なる試練を与えたわ! ファーストキスを無理矢理あんたに捧げて。だから、これは試練。例え、貴方と恋仲になろうと、その苦難の記憶は消えないわ!」
「……あ、ああ、そうだな、俺も、忘れられそうにないよ」
顔を真っ赤にしながら、でも、気持ちのいい笑顔で流人は告げる。
そして笑夢も。
言葉とは裏腹に晴れ晴れとして、その名に恥じない笑顔を見せていた。
巫女装束ではなくとも、笑夢の本質は巫女。
だから、それは正に『笑む巫女』の姿であった。
紆余曲折を経てここに至ったが、笑夢と流人、お互いに恋心は無かった。
本当に?
本当に。
……つい、さっきまでは。
えむみこ! 第3話 完
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