DC版Kanonゲット!
 DCもついでにゲット!(痛い出費…)
 …「サクラ大戦」やりたさにサターン買ったのと同じことやってる…
 声付きには色々批判もあるみたいですが、我の感覚では今のところ
外してはいないと思います。まぁ、長いこと好きなマンガのアニメ化
とかに立ち会って、声がつくことに慣れてるのもあると思いますが。
 また、声優の演技がどうこうという話も耳にしますが、我は元々は
声がつくことが想定されていなくて、テキストだけで口調等について
凄く微妙な描写をしていたものに声をつけるということに無理がある
と思っています。だから、ある程度演技に無理が出るのは仕方ないか
と割切っています。これは、声優の技術不足とか言うんじゃなくて、
元々が文章だからこそ色々と読み手のイメージによって様々な解釈が
可能だったものが、声優がつくことでたった一つに固定されてしまう
のですから当然、ある一人の解釈とその固定されたイメージが異なる
ケースは発生します。その差異をもって声優が下手というのはどうか
と思うのですがいかがなものでしょうか?
 そういう人には三角形を描いてもらいたいものです。
 ある人は正三角形を、ある人は二等辺三角形を、又ある人は三四五
の直角三角形を描くでしょう。でも、否定しようと思えば、その全て
を否定できます。上記三つとは違うケースの三角形を書いて「これが
本当の三角形だ。だから君たちが書いた三角形は偽者だ」ということ
が可能です。そして、同様に他の三者も自分の三角形こそが本物だと
お互いに否定しあうことが可能です。
 と、プラトンのこと知らない人にはチンプンカンプンの議論ですが、
要は「本物の三角形」なんて存在しないということです。それは理想
(ιδεα〜イデア)として存在するもので、人間は「それらしいもの」
を想起することしか出来ないのです。もしくは「これが本物だ」と、
恣意的に定義してしまうしかないのです。
 勘のいい人ならお気づきかと思いますが、結局「キャラクターの声」
も声優がつくまではイデアとして存在しているのです。決して本物は
存在しないけれども人それぞれに想起することが可能です。この状況
に声優がつくことで一石が投じられます。否が応でも「これが本物」
というのを突きつけられてしまいます。勿論、実際には数ある解釈の
一つに過ぎないのですが、今まで自由に想像出来たものが規定されて
しまったのは事実です。はっきり言って、このケースでイメージ通り
になる人の方がレアな筈です。余程キャラクターにマッチした誰もが
認める声優が存在しない限り、どこかで齟齬が生じるのは仕方ないの
です。
 確かに、この規定によって自分が大切にしてたイメージを壊された
ように感じてしまうのは仕方ないですが、それをもってメーカや声優
に当たるのはどうかと思ってしまいます。Kanonに限らず、またゲーム
に限らず、常に声のないものに声がつく時にはついて回る問題ですが、
いつもいつも同じことが繰り返されてるのを目にします。そう言う訳
でこの機会に自分の考えをまとめて見ようかと思い、このようなモノ
を書いてみました。

最後に一言…
声に文句言うならわざわざフルボイスでやらなきゃええやん…

…雑記no3「DC版Kanonに思う…」 2000.9.16 11:56

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