眼鏡を哲学する男、継目智(つぐめさとし)
彼の萌え川柳から幕を開ける物語。
…レンズ越し 輪郭のズレ 萌えの花…
眼鏡はただ掛けていればよいというものではない。実用的であるからこそ輝くのである。ただ外見を飾るためだけの伊達眼鏡など言語道断である。視力矯正の為の屈折率の違いによって生じるレンズ越しの映像のズレが無ければ、そんなもの空っぽの美に過ぎないのだ。
そんなことを真剣に考える男、継目智には夢がある。コンタクトのない世界だ。目に異物を挿入するよりも、非接触の眼鏡の方が目に優しいのだ。そんな自明のことに気づかないのはきっとどこかの陰謀に違いない。そんな現在の眼鏡を否定する風潮に喝を入れるべく、日夜努力している。
「君は何を言っているのだね。ただの眼鏡だと? 君に眼鏡の何が解るというのだ。それなら、先ずは眼鏡のすべての部品の名前を言ってみろ!」
いつも飛ばしている智には、ストッパーは存在しない。彼の眼鏡に対するこだわりは既に神域に突入しようとしていた。
「コンタクトだと? あんな核にも匹敵する人類最悪の発明品など使うものではない。いいか、あれは視力を矯正しているように見えて人の目をじわじわと、真綿で首を絞めるように傷つけていく恐るべき兵器なのだよ」
そして、コンタクトレンズに対する嫌悪も又、神域であった。
そんなどこか突き抜けた男ではあるが、眼鏡以外については比較的まとも、中の上か上の下ぐらいには分類される存在である。
これは、そんな彼を中心として眼鏡燃え&萌え小説を書こうという一人のメガネスキーの戯言である。