西尾維新・著、講談社ノベルス。
11月13日(日)昼前読了。
戯言シリーズ、完結。
私の Web ページの現在全力開店休業中の掲示板の名称は「戯言掲示板」。開設は 1999 年。戯言シリーズが産まれるよりも前から、私は「戯言」という言葉に縁があったようです。(「たわごと」と読まれないように注意書きまであります)
だからこそ、発売から程無い、 2002 年 3 月 2 日(土)(※日本橋散財記参照)というまだまだ世に知られず、「戯言シリーズ」などという呼称さえ産まれる以前から、何か心惹かれるものを感じて、「ジュンク堂書店 難波店」で手に取ったのでしょう。買った動機は「語りのページ」の玖渚友の欄を見ていただければ分かるように「なんとなく」だったのですが、そんなことは『どちらでも同じこと』なのでしょう。今、ここに産まれ出でた結果を換えることは出来ないのですから。
だから、原点に帰る意味で、まだ私がK太郎と名乗っていた頃の思い出、同じサブタイトルを持つシリーズ第1弾に対しての読書日記を発掘して引用します。
クビキリサイクル~青色サヴァンと戯事遣い
西尾維新(講談社ノベルス)
清涼院流水氏が煽りを書いていたこと、印象的な表紙に釣られて何気なく買った一冊。しかし、これが大当たりです。「コズミック」以来の衝撃的な作品でした。
この御華詩には沢山の「天才」が出てきます。そして、殺されていきます。
殺人事件の解決云々が軸にはなりますが、その中で、天才になり損ねた語り部であり戯事遣いを自負する「ぼく」の視点で描かれる「天才」とはなんなのか? という部分が非常に興味深い作品です。
因みに、この作品の主人公の一人、「青色サヴァン」こと天才技術屋の玖渚友が印象的でした。今まで色んな一人称を見てきましたが「僕様ちゃん」は初めてです、はい。
こんな感じで、やはり心に強く残ていたのです。当時怠けていたので読了日が分かりませんが、玖渚の追加日から換算して恐らく 2002 年 4 月 7 日前後と思われます。
2002 年 4 月 7 日読了として第 9 作読了の今日まで 3 年と 7 ヶ月 と 6 日 = 1316 日。これだけの月日、自分の中で大きな位置を占めてきて、これからも占めていくだろう作品です。
最初は、特徴的な登場人物。その一筋縄でいかないキャラクターの魅力に惹かれる。
それでいて最後の最後にご都合主義を否定する解決。特に『クビシメロマンチスト』のラストは秀逸でしょう。「助かる奴は助かるし、助からない奴は助からない」「なるようにしかならない」そんな生々しさ。幾ら非現実的な登場人物であってもその部分だけはどこまでも現実的だったりして、そこから得られるカタルシスが人の心を掴んだという見方も出来るように思えます。戯言ですが。
また、冒頭で私の Web ページの掲示板タイトルを挙げましたが、その意図は「この Web ページの内容なんて戯言に過ぎない」ということ。在る意味、私はいーちゃんの資質を持っているのでしょう。ですが、明言しないまでもそれは誰もが持っているモノだと思うのです。全てを戯言として安心したい。そんな気持ちが全くないと言う方が不思議にさえ思えます。そんな部分も多くの人にこの作品が受け入れられた要因に思います。
そして、『ヒトクイマジカル』以降、つまり西東天の登場当たりから始まった『物語』の概念。そこから次のステージであった訳です。その直後の『ネコソギラジカル』で収束する『物語』の物語。こう書くとメタ物語になってしまいます。確かにそれらしい雰囲気はありますが、語られる『物語』はあくまで登場人物達の現実解釈。世界を物語として捉える見方。非常に興味深いモノがありました。登場人物が自覚的に登場人物として自身を捉え、役割を意識し、道に惑う。それはまた、作者の苦悩の表れでもある。だから、どっちと解釈してもいい。どちらでもいい。それが正解でも間違いでも同じこと。それが真理に近しいと思えます。
最終巻ということでシリーズについての総評となりましたが、この巻に絞っての感想としては「まぁ、そんなもんなんだ」ということになります。これはネガティブな意味ではなく、行き着いた結論として自分の中で気持ちよく響く類のものです。「すっきりしないからすっきりした」とかでもいいのです。なんというか物語が透徹されたことが気持ちよかった。だからそんなもんだと感じることが出来たのが最良のラストだったと私は思う訳です。
蛇足。今回初登場のキャラも「眼鏡」装着。しかも文学少女的容姿で黒縁眼鏡。いや、これはやられましたよ。眼鏡方面からも侮れない作品であったことを最後に付け加えて、この『物語』への感想を締めたいと思います。